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髙尾山薬王院有喜寺の御本尊である飯縄大権現は、不動明王の化身である
投稿日
2022/03/20
※飯縄大権現は高尾山薬王院の御本尊であり、その姿はカラス天狗であり、随身として、大天狗、小天狗を従えている。

早朝三時半に、無事に起きることができた。
本日は出会いの会が開催される日である。
最寄りの駅の七時半発の電車に乗れば、充分待ち合わせ時間に間に合うので、こんなに早く起きる必要はなかった。
目覚ましは、五時にセットしていた。
しかしトイレに行った時、三時半だったので、このまま起きてしまうことにした。
そして飲みヨーグルトを飲み、温かいお茶を飲みながら、今これを書いている。

高尾山薬王院の御本尊、飯縄大権現は、仏なのか、神なのか。
まずはそれが、気になった。
ウィキペディアによると、「権現は、日本の神の神号の一つ。日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号である。」、とのことである。
つまり、飯縄大権現は、日本の神である。
ただし、仏教の仏や菩薩が、仮の姿で現れた存在である。
まずそこが、一点。

では飯縄大権現が日本の神だというなら、仏教のお寺である高尾山薬王院の御本尊であることは、おかしいのではないか、という話になる。
日本の神を祀るなら、高尾山薬王院は、神社でなければならない(実際に高尾山薬王院は仏教のお寺だが、神社でもあるという印象を持つ)。

これに関しては、明治時代、政治の都合で、神仏分離令というものが出され、無理矢理に、神社とお寺が、分離させられた。
それまでは、日本では、神社とお寺は、一体となっていた。
それを神仏習合という。
ウィキペディアによると、「神仏習合とは、日本土着の神祇信仰と仏教信仰が融合し一つの信仰体系として再構成された宗教現象」と、説明されている。
だから日本の神である飯縄大権現が、仏教のお寺である薬王院の御本尊であることに、特に矛盾はない。

そしてネットで飯縄大権現のことを調べていると、どうやら飯縄大権現は、不動明王の化身らしい。
「化身」とはウィキペディアによると、「仏が衆生を済度するために様々な形態で出現する際の姿」とのこと。

高尾山の奥ノ院は、不動堂である。
そのお堂の御本尊は、不動明王である。
その謎が、解決できた気がする。
つまり高尾山薬王院の解釈としても、飯縄大権現は不動明王の化身であるという解釈であることは、間違いなさそうだ。

では不動明王とは、何者だろうか。
ウィキペディアによると、「不動明王(ふどうみょうおう、梵: अचलनाथ acalanātha)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。」、とのことである。
つまり不動明王は、「大日如来の化身」とも、言われるらしい。
大日如来といえば、私の認識では、もっとも偉い仏様あり、万能の力を持った仏様であるという、認識だ。
実際に、キリスト教の絶対的な唯一神は、日本にキリスト教が伝来した際には、大日如来であると紹介されていたようだ。
フランシスコ・ザビエルが日本にはじめてキリスト教をもたらしたとき、キリスト教の神を、大日如来であると置き換えたほうが、布教がうまくいきそうだと考えた。
それで、そのようにして、キリスト教を布教したのである。
だから当時、キリスト教は仏教の一種であると、誤解されていたようである。
キリスト教の神は万能の神で、すべてを知っており、できないことはない。
絶対的な神である。
その神が大日如来に置き換えられたくらいだから、大日如来とは、非常に強力なパワーを持った仏様であることがわかる。
その大日如来が不動明王の化身であり、そしてその不動明王が飯縄大権現の化身であるというのだから、飯縄大権現は大日如来の化身であるとも、言えなくはない。
となると飯縄大権現の格というものは、とんでもなく高いということになる。
飯縄大権現は戦勝の神とされ、そのご利益は、「戦に勝つ」というものであるとされているが、しかしご利益はそれだけにとどまらず、その他さまざまなご利益があると考えることができる。
実際に高尾山薬王院では、さまざまなご利益のある、御護摩祈祷というものが、毎日行われている。
そのご利益は、
家内安全・商業繁昌・事業繁栄・身上安全・災難消除・厄除・身体健全・当病平癒・開運・良縁成就・安産成就・入学成就・心願成就・御礼・奉納杉苗・工事安全・交通安全/車内用・交通安全/神棚用・方位除・就職成就・福寿圓満・・・
と、広範囲にわたる。
ご利益の中には、「心願成就」も入っているわけなので、もうそうなると、何から何まで願いが叶う、そんな、とんでもないご利益がある、と考えることもできる。
もう高尾山薬王院でお参りしていれば、ほかにどこも行く必要がない。
高尾山薬王院だけで、すべての願いは叶うとも、言うことができる。

高尾山薬王院は、仏教のお寺でもあるので、仏教の教えというものも含まれており、それがまた高尾山というものを、奥の深いものにしてしまっている。
仏教というものは、非常に完成度の高く、奥の深い、宗教である。
仏教はもともとは、お釈迦様が作り出したもののようだが、その後、さまざまな流派にわかれ、現在に至っているようだ。
ちなみに髙尾山薬王院有喜寺は、「真言宗智山派」という流派らしい。
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