登山サークル アウトドアチャイルド

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高尾山の、十善戒
投稿日
2022/03/19
近日仕事を失うかもしれない不安に震えながら、本日はだらだらと寝続けて、朝は十時半に起きた。
明日は、出会いに会に参加する。
近日、無収入になってしまう可能性があることを考えると、もう出会いの会などに参加することは、許されない。
そんな参加費、払えない。
無駄使いは、一切できない。
本来は、もう呑気に出会いの会に参加することは、できないような状況になってしまっている。
少なくとも仕事が継続できるかどうか、それがはっきりするまでは、もう一円たりとも無駄使いをしてはいけないような状況に、なってしまっているのである。
で、現状、その出会いの会に三件も応募してしまっており、本来はそれを全部キャンセルしなければいけないところだが、未練である、とりあえずその三件までは参加することにしようと、そのように思っているのである。
というわけで、明日は大事な、出会いの会である。
そこで良い人を、ゲットすることを目指す。
そのような大事な会を明日に控え、私は今日、十時半に起床した。
それから本来であれば本日は節約して、一円も使わないような生活をすべきであるが、それでも今日、あまりにも天気が良かったので、結局また、高尾山に行くことにした。
やっぱりなんだかんだ言って、高尾山が一番である。
家を出て、太陽の光をたっぷり浴びながら、最寄りの駅にゆき、電車に乗り、高尾山口駅まで移動した。
そして山麓駅からリフトに乗り、山上駅まで移動した。
リフトはなかなか、面白い。
ブランコのような椅子に座って、十二分くらいだろうか、上の駅まで移動する。
怖いので椅子の手すりを持ってしまうのが、初心者である。
私のような常連になると、そこで敢えて、手すりを持たない。
腕は、胸の前に組んでしまう。
その状態でリフトに乗っていると、今にも落ちそうな感じがして、なかなかスリリングで、なかなか面白いのである。
山上駅に移動して、中腹の店で、カレーを食べた。
建物の二階にある、「スミカテーブル」という店で、「ハーフ&ハーフ」という、カレーを食べた。
カレーはなかなか、うまかった。
その店は、なかなかお上品な店であった。
その店でカレーを食べた後は、下の店で、「三福だんご」というものを、食べた。
「大福」「幸福」「裕福」と名付けられた三つのだんごが、串を切って、渡される。
串を切る、それはつまり、「苦死を切る」とかけられており、それを食べることで、健康・長寿のご利益が期待できるのである。
たった350円で、健康・長寿がゲットできれば、もうけもの。
それを食べない手はない。
カレーを食べ、だんごを食べると、おおむね空腹は満たされた。
それから、登山を続ける。
登山と言っても高尾山の場合、リフトを使ってしまうと、もう登山というより、単なる観光である。
高尾山の仏教施設とか神社施設を、色々見て、学び、楽しもうと思うのだ。
途中、サル園を通り過ぎた。
サル園、とても気になっている。
サルしかいないのに、入園料は、430円である。
上野動物園の入場料は、600円である。
上野動物はサルだけでなく、たくさんの動物がいる。
それで、600円である。
それを考えると、高尾山のサル園は、サルしかいないのに430円は、高いような気がする。
それでも最近、私は高尾山のサル園のことが、ひどく気になっているのである。
高尾山のサル園は、サルしかいない分、サルについて、深く知ることができる。
そこには一つの、サル世界がある。
サル宇宙がある。
それを解説の人が、楽しく解説してくれる。
ボスは確か、ネッシーという名前のサルである。
ネッシーは正義感が強く、優しい性格のサルらしい。
飼育員の人は、サル一匹一匹の名前とか性格とか、全部熟知している。
そしてサル世界の様々なドラマを、楽しんでいる。
それが、高尾山のサル園である。
私は一度だけ入ったことがあるが、すぐに退屈してしまい、これで430円は高いなあ、などと思ってしまい、「もう二度と入園することはないだろう、ここに来るくらいなら、上野動物園に行くわい」などと、不届きなことを考えてしまったものである。
でも今はまた近々、サル園に入ってみたいと思っている。
そして飼育員の人と同様、サル一匹一匹の名前とか性格とか、私も少しずつ覚えていこうかと、思っている。
後はまあ、「たこ杉」だ。
もうすでに、誰もが高尾山のたこ杉のことは知っていると思うので、今更詳しい説明は不要だろう。
高さ37メートルのたこ杉は、なんでも高尾山で二番目の大木らしい。
大木だらけの高尾山の中で、二番目の大木というのだから、相当の木である。
一番大きな木の名前は、「飯盛杉」というらしい。
その、飯盛杉とやらはどこにあるのだと気になったが、結局今回は、その姿を見つけることはできなかった。
どこにある?
ネットで、以下のような情報を見つけた。

===
京王線「高尾山口駅」下車、ケーブルカーで「高尾山駅」へ。そこから徒歩約20分高尾山薬王院境内からご覧ください。

(注意)
現在は、木の近くまで行けません。
===

やれやれ、現在は木の近くまでいけないらしい。
ということは、高尾山薬王院の職員の人しか、飯盛杉の近くまではいけないということか。
でも、見ることはきっとできるのだろう。
薬王院境内から、目視することは、おそらく可能。
だから今度機会があれば、薬王院の職員の人に聞いてみて、飯盛杉を目視してくると良いだろう。
しかし飯盛杉の高さは約40メートルとのことなので、37メートルのたこ杉と、それほど大きさに違いはなさそうだ。
だからまあ、飯盛杉をムリして見る必要もないだろう。
後、神変大菩薩のお堂である、神変堂を改めてじっくり見たのだが、そのお堂の前に、妙童鬼、善童鬼、という名前の、二つの像があったのだけど、その二つの像も、結構気になる。
こいつら、一体何者?
と、気になってしまう。
当然、神変大菩薩と、関係のある者たちだろう。

まあそんな風に気になったものを一つ一つ挙げていくと、いつまでたっても終わらない。
本日も高尾山に行って、とんでもない量の大きな印象を受け取ってきてしまった。
それらを全部書いてたら、いつまで経っても終わらない。

まあ今回は、さらっと流して書かせていただく。
そんな調子で、いろんなところを見てまわりながら、高尾山の山頂に到着して、そして山頂にあるビジターセンターで、しっかりと「高尾山 全植物 草・木・シダ1500種 山田隆彦」という名前の書物を、購入した。
料金は、「2300円+税」なので、なかなかお高い本である。
その本には、「高尾山で見られる植物 すべてを網羅! これ1冊でOKです」と書かれている。
高尾山のことをもっとよく知りたい私にとっては、良さそうな本である。
この本をしっかり読んで、より高尾山のことを理解していきたいと思う。
そのほかにもビジターセンターで本が売っていたが、すでに持っているものを買ってしまわないように、注意が必要だ。
すでに、「高尾山 自然観察手帳」という本は持っているので、確か、その本もビジターセンターに置いてあった思うので、それは買ってしまわないように、気をつけなければいけない。
まあビジターセンターに、他にも本はいくつかあったので、それらも機会があれば入手したいと思っている。

で、山頂に行って、風景を眺め、そしてまたリフトのところまで戻ってきて、そして、帰りもまた、リフトで空中散歩して、下の駅まで、降りてきた。
その頃には、天気もちょっと悪くなってしまっていて、ポツポツと雨も降り始めていた。
それで、そこからは、今日はもう、これ以上は金を使いたくないと思ったので、そこからは真っ直ぐ家に帰ってくることにした。
まあ、これ以上の贅沢は、到底許されないのである。

で、最寄り駅まで電車で戻ってきて、駅前のマックで、一個130円のチキンクリスプを5個買った。
そして、セブンイレブンでチョコパンを三つと、シーフードヌードルBIGを購入。
そして家に帰ってきて、歯磨き粉を書い忘れていたことに気づき、激しく舌打ちした。
自分の忘れっぽさに対して、ぷんぷん怒りながら、近所のスーパーまで行って、これでもかとばかりに、歯磨き粉を、二つ購入してやった。
そしてついでに、魚肉ソーセージも買ってきた。

まあ今更だが、高尾山の「十善戒」について、書いておく。
高尾山薬王院の境内、本堂の右の奥、大師堂の前あたりの看板に、十善戒の紙が貼られている。
高尾山に行くたびに、毎回その紙はスマホで撮影する。
以下のように書かれている紙である。

===
十善戒

不殺生(ふせっしょう) あらゆる生命を尊重しよう
不偸盗(ふちゅうとう) 他人のものを尊重しよう
不邪婬(ふじゃいん) お互いを尊敬しあおう
不妄語(ふもうご) 正直に話そう
不綺語(ふきご) よく考えて話をしよう
不悪口(ふあっく) 優しいことばを使おう
不両舌(ふりょうぜつ) 思いやりのあることばを話そう
不慳貪(ふけんどん) 惜しみなく施しをしよう
不瞋恚(ふしんに) にこやかに暮らそう
不邪見(ふじゃけん) 正しく判断しよう

日々の生活で実践して
仏の教えを体感しよう
==

まあこの十善戒を守れば、幸せになれますよ、という、教えだと思う。

それについて、ちょっと私見を語らせていただく。
まず、「三密」という言葉があるのである。
三密について、軽くご説明しよう。

仏教では、人間の日常生活は、三密で成り立っていると考えられている。
三密とは、「身体」「言葉」「心」の三つのことである。
で、その三つが、煩悩の元である。
で、その三密を清くするということが、十善戒に関わってくる。
十善戒とはつまり、その三密を清くして生きていきましょう。
そして、煩悩を消しましょうと。
そういう話なのである。

十善戒と、三密との関係は、以下の通りである。

<身体>に関する十善戒
不殺生(ふせっしょう) あらゆる生命を尊重しよう
不偸盗(ふちゅうとう) 他人のものを尊重しよう
不邪婬(ふじゃいん) お互いを尊敬しあおう

<言葉>に関する十善戒
不妄語(ふもうご) 正直に話そう
不綺語(ふきご) よく考えて話をしよう
不悪口(ふあっく) 優しいことばを使おう
不両舌(ふりょうぜつ) 思いやりのあることばを話そう

<心>に関する十善戒
不慳貪(ふけんどん) 惜しみなく施しをしよう
不瞋恚(ふしんに) にこやかに暮らそう
不邪見(ふじゃけん) 正しく判断しよう

と、言うわけである。
つまり、「身体」「言葉」「心」の三密が煩悩の元であり、それがゆえ、苦しむのである。
それがゆえ、不幸なのである。
だから、そこを清くすることで、幸福になるということだ。
そのために、十善戒を守りなさいという話である。

幸福について、少し私見を述べさせていただく。

仏教では、「六道」というものがある。
それは、六個の世界である。
そのうちの一つが、我々の住んでいる、人間界である。
一番苦しい世界は、「地獄」である。
その次は、「餓鬼」、その次は、「畜生」、その次は、「修羅」。
そして「人間」。
その上は、「天上」、となる。

「天上」に行くのが、ベストである。
「地獄」に行くと、悲惨である。
「餓鬼」は、ずっと飢えている。
「畜生」は、犬猫、ゴキブリ、ムカデ、とか、人間以外の生き物の世界である。
「修羅」は、常に争っている人たちの世界である。

だからこの人間界であんまり悪いことばっかりしていると、最悪、次に生まれ変わったとき、地獄に行くハメになるのである。
逆に、善行に励めば死後、天上界に行って、悠々と過ごせる可能性があるということだ。

だから十善戒を実践しても、現世で何も良いことがなかったとしても、死後、天上界に行って、幸せになることができるかもしれないぞ、という話である。
逆に悪いことばかりしているのに、現世で罰も与えられず、幸せに暮らせたとしても、死後、地獄に行ってしまう可能性があるのである。

しかし死後のことなんで、わかるわけがないと思うだろう。
私も、そう思う。

死後、人はまだ存在しているのか。
魂とか、霊魂とか、残ってるのか。
現世の記憶とか、残っているのか。
そのあたり、よくわからない話である。
そもそも、人間の価値とは、一体何なのか。
頭が良いことが、人間の価値なのか。
性格が良いことが、人間の価値なのか。
お金を持っていることが、人間の価値なのか。

まあ、宗教というものは曖昧なものではあるけれど、それを信じることで、この世の苦しみから逃れられるというか、少なくとも、多少なりとも、慰めを得られる。
心の平安を得ることができる。
そのようなものであることは、確かだろう。
宗教というものがもし無かったら、この世はもっと絶望的なものであったに違いない。

まあとにかく、ちょっと難しい話になってしまったので、今回はこのくらいにしておこう。
仏教というものはしかし、とても奥が深いものだなあと思う。
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