登山サークル アウトドアチャイルド

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<<「やがて哀しき高尾山」
高尾山と、108の煩悩
投稿日
2022/03/05
夢を見た。
夢の中で、十時五十分くらいに起きた。
夢の中では、私は大家族の一員であった。
そして家にお客さんがたくさん来ていてバタバタしていたので、とても居心地が悪いと感じた。
だからどこかに出かけようと思った。
そうだ高尾山に行こう。
そう思って、ウキウキした。

そんな夢を見た。
そして実際に起きたのも、十一時前であった。
それでちょっと考えてみた後、夢の中のマネをして、高尾山に行くことにした。
ただ普通に高尾山に行くのも芸がないので、今日は完全に手ぶらで高尾山に行くことにした。
持っていくのは、財布、ハンカチ、ティッシュ、マスク、スマホのみ。
あとは何も持っていかない。
そして高尾山に関する文章を、少しだけ書いてみようと思う。

先週高尾山の六号路で道の凍結のため大転倒をしてしまって左足首を痛めた。
それはまだ完全には治っていない。
しかし歩くのに差し支えがないくらいには治っている。

しかし最近、ショッキングな出来事が起こってしまった。
別に大したことではないのだが、私にとってはかなりショッキングな出来事であった。
以前に第38回太宰治賞に渾身の作品を申し込んだ。
それが一次選考で落ちてしまったのである。
それが自信作であったため、「嘘だろ」「まさか」と思ってしまい、ホームページの発表を何度も見返してみたが、やっぱり落ちていた。
これには心底がっかりした。
大賞を取れるとは思っていなかったが、それでも一次選考くらいは確実に通るだろうと思っていた。
二十五歳くらいから四十八歳の今まで、ほとんど毎日文章を書き続けていた。
そんな私がとうとう自信作を完成させた。
その作品と同等のクオリティの作品を量産できたら、プロの小説家としても充分通用するだろうと思っていた。
そのような自信満々で応募した作品が、まさかまさか、一次選考も通過しなかったとは。
なんというショッキングな出来事だろう。
でもそれは絶対におかしい。
このクオリティの作品が、一次選考にも通らないわけがない。
これはなにかの手違いだ。
多分一次選考で通す作品を選ぶ下読みの人が、きちんと私の作品を読まなかったのだと思う。
多分下読みの人は一週間で百作くらいの応募作を読んで、その中から十作くらいを一次選考で通す感じだと思う。
だから全部をじっくり読んでいるヒマはないので、最初の数ページだけ読んで、それで良し悪しを判断しているのではないだろうか。
それで私の自信作も最初の数ページだけ読まれ、「これはダメだな」と判断されてしまったのではないか。
こんなことはよくあることである。
不朽の名作であるパールバックの「大地」も最初は編集者から酷評され、「こんなものは誰も読まない」と言われたという話は、有名な話である。
つまり編集者の目も確実なものではなく、無能な編集者が名作を見落としてしまい、駄作であると判定を下してしまうのは、よくある話なのである。
おそらく今回も、そのような現象が起こってしまったのだろう。
なぜなら再び自分で読み直してみても、やっぱりその作品は、感動的な素晴らしい作品なのである。
これが一次選考で落ちるとか、ありえない。
そう思った私は、その作品をnoteに投稿した。
noteに投稿すれば、読者のリアルな反応がわかるだろうと思った。
この作品がウケないわけがない。

私はnoteの読者の反応を、ドキドキしながら待った。
投稿後、まる三日、noteにはアクセスしなかった。
きっと大反響が起こっているはずである。
スキが百個以上は集まっているはずだ。
私はそう予想しながら投稿した三日後に、noteにアクセスした。
するとなんということか、そこにはとんでもない結果が待ち受けていた。

私の作品へのアクセス数は19あったのだけど、なんとスキは一つもついていないのである。
コメントもなくフォローもなく、noteの読者からの反応は、まったくの無反応であった。
いやいや、そんなわけはない。
私は改めて、自分の作品を読み直してみる。
やはり感動的な、素晴らしい作品である。
きっとnoteの読者、きちんと最後まで読んでいないのだろう。
もっともっと、たくさんの人に読んでもらう必要がありそうだ。
私はnoteで他の人の作品にスキをつけまくった。
ろくに読みもせず、スキをつけまくった。
他の人の作品にスキをつけまくればそれに比例して、私の作品を読んでくれる人の数も増えるはずである。
そのように努力して、私の作品へのアクセスは38になった。
しかしやはり、スキは一つも付けては貰えなかった。

そのように、自分の文章が完全に無価値であるという現実をまざまざと見せつけられてしまったため、今後はもっときちんと文章を書いていきたいと思っている。
それで今日、高尾山に行ってきて、また高尾山について何か書こうかと思っている。

まず起きてから、手ぶらで外出した。
そして、高尾山口駅まで移動した。
そして、リフトで高尾山の中腹まで移動した。
そして中腹のお店で、八王子ラーメンと、ハムとチーズのワッフルを食べた。
そのお店は、夏はビアガーデンの会場になるお店である。
その店では中高年の男女が、賑やかに鍋で飲み会をしていた。
とても楽しそうな飲み会だった。

私はスマホで写真を撮りながら、ゆっくりと山頂に向かって歩いた。
気になるものは、色々目にした。
それらを全部書くと大長文になってしまいそうなので、今回はそこからピックアップしたものだけを書いていきたいと思っている。

高尾山の浄心門をくぐって15分くらい歩くと、左は男坂、右は女坂という、分かれ道がある。
そこで男坂を進むと、108段の石段がある。
その石段について、今日は書いていこうと思っている。

その石段の近くには、その石段についての、立派な説明の石板がある。
そこに書かれている内容を、以下に書いていく。

ーーー
百八の石の階段

この石段は百八段あります。
百八とは、人間の限りない悩みや苦しみの煩悩を意味するものです。
ご本尊様の加護により、かかる苦しみ悩みを踏み越えるよう、一歩ずつ「なむ、いずなだいごんげん」と念じながら、この石段をお登りください。
大本山高尾山薬王院
ーーー

そのように書かれているが、道ゆく人たちは誰も、「なむ、いずなだいごんげん」と唱えている様子はなく、普通に階段を登ったり、降ったりしている。
しかし本来はその石段には、そういう意味があったのだ。
百八の煩悩とは、よく聞く話である。
確か除夜の鐘も、百八発ではなかったか。
確かにウィキペディアで調べてみると、「除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。」と記されているのを確認できた。
では百八の煩悩とは、一体なんだろう。

以下のサイトから、コピペさせて頂いた。

108種類の煩悩一覧 - 仏教辞典
https://bukkyouwakaru.com/dic/108nobonnou

以下、108の煩悩の一覧を記す。

苦締貪(くたいとん) 執着する心
苦締瞋(くたいしん) 許せない怒り
苦締癡(くたいち) 道理が分からず愚痴を言う
苦締慢(くたいまん) おごり、高ぶり
苦締疑(くたいぎ) 正しい事を疑う
苦締有身見(くたいうけんしん) 身体への執着
苦締辺執見(くたいへんじっけん) 極端な思考
苦締邪見(くたいじゃけん) 因果応報を知らない
苦締見取見(くたいけんしゅけん) 間違いを正しいと思い込む
苦締戒禁取見(くたいかいごんしゅけん) 誤った考えを信じる
集締貪(じったいとん) 欲望
集締瞋(じったいしん) 憎しみ
集締癡(じったいち) 悪行を行う
集締慢(じったいまん) 他人に誇りたがる
集締疑(じったいぎ) 真実を疑う
集締邪見(じったいじゃけん ) 果報は無いと思う
集締見取見(じったいけんしゅけん) 自分が最も優れていると思う
滅締貪(めったいとん) 激しい欲求
滅締瞋(めったいしん) いら立ち
滅締癡(めったいち) 無知による愚行
滅締慢(めったいまん) 傲慢
滅締疑(めったいぎ) 正しいことを信じられない
滅締邪見(めったいじゃけん) 因果関係を認めない
滅締見取見(めったいけんしゅけん) 誤った見解を信じ込む
道締貪 (どうたいとん) 何かを求める心
道締瞋(どうたいしん) 怒りで心が不安定になる
道締癡(どうたいち) 愚かな行為
道締慢(どうたいまん) 自慢したがる
道締疑(どうたいぎ ) 真実を信じれない
道締邪見(どうたいじゃけん) 自分の行いに果報は無いとする心
道締見取見(どうたいけんしゅけん) 間違った考えに執着する
道締戒禁取見(どうたいかいごんしゅけん) 誤った事を信じ込む
色界苦締貪(しきかいくたいとん) 魂からの欲望
色界苦締癡(しきかいつたいち) 愚かな行為
色界苦締慢(しきかいくたいまん) 自身の凄さを誇りたがる
色界苦締疑(しきかいくたいぎ) 正しい教えを疑う
色界苦締有身見(しきかいくたいうしんけん) 身体への執着
色界苦締辺執見(しきかいくたいへんじっけん) 極端な考え方
色界苦締邪見(しきかいくたいじゃけん) 因果応報は無いとする
色界苦締見取見(しきかいくたいけんしゅけん) 自分だけが正しい
色界苦締戒禁取見(しきかいくたいかいごんしゅけん) 誤ったことを正しい事と勘違いする
色界集締貪(しきかいじったいとん) 必要以上に欲する
色界集締癡(しきかいじったいち) 愚かな行い
色界集締慢(しきかいじったいまん ) 他者に誇りたがる
色界集締疑(しきかいじったいぎ) 正しい事を信じられない
色界集締邪見(しきかいじったいじゃけん) 善悪の果報を認めない
色界集締見取見(しきかいじったいけんしゅけん) 自分が正しく他が間違っている
色界滅締貪(しきかいめったいとん) 欲が湧いてくる
色界滅締癡(しきかいめったいち) 愚行
色界滅締慢(しきかいめったいまん) 優越感
色界滅締疑(しきかいめったいぎ) 何も信じない
色界滅締邪見(しきかいめったいじゃけん) 因果応報を認めない
色界滅締見取見(しきかいめったいけんしゅけん) 誤った教えに執着する
色界道締貪(しきかいどうたいとん) 精神的な欲求
色界道締癡(しきかいどうたいち) 悪い考え
色界道締慢(しきかいどうたいまん) 他人に自慢したがる
色界道締疑( しきかいどうたいぎ) 真実を疑う
色界道締邪見(しきかいどうたいじゃけん) 善悪の果報は無いとする心
色界道締見取見(しきかいどうたいけんしゅけん) 自分が正しく、他が間違っている
色界道締戒禁取見(しきかいどうたいかいごんしゅけん) 間違った教えに執着する
無色界苦締貪(むしきかいくたいとん) 精神的な欲望
無色界苦締癡 (むしきかいくたいち) 怒りからの憎しみ
無色界苦締慢 (むしきかいくたいまん) 自分が優れている事を知らしめたい
無色界苦締疑(むしきかいくたいぎ) 正しい道を信じれない
無色界苦締有身見 (むしきかいくたいうしんけん) 心身を思い通りにできる
無色界苦締 辺執見(むしきかいくたいへんじっけん) バランスを欠いた思考
無色界苦締 邪見(むしきかいくたいじゃけん) 因果応報は無いとする
無色界苦締 見取見(むしきかいくたいけんしゅけん) 誤った見解を正しいと思い込む
無色界苦締戒禁取見(むしきかいくたいかいごんしゅけん) 誤った見解に固執する
無色界集締貪(むしきかいじったいとん) 魂からの激しい欲望
無色界集締癡 (むしきかいじったいち) 愚かな行為
無色界集締慢 (むしきかいじったいまん) 慢心
無色界集締疑(むしきかいじったいぎ) 真理を疑う
無色界集締邪見(むしきかいじったいじゃけん) 自分の行いが自分に帰ってくることを信じない
無色界集締見取見(むしきかいじったいけんしゅけん) 自分が正しく、皆が間違っている
無色界滅締貪(むしきかいめったいとん) 無意識に生まれるの欲求
無色界滅締癡 (むしきかいめったいち) 真理に対する無知
無色界滅締慢(むしきかいめったいまん) 己の凄さを誇りたがる
無色界滅締疑(むしきかいめったいぎ) 正しい教えに疑問を持つ
無色界滅締邪見(むしきかいめったいじゃけん) 罪・公徳による果報を信じない
無色界滅締見取見(むしきかいめったいけんしゅけん) 間違いを正しいと信じ込む
無色界道締貪(むしきかいどうたいとん) 欲求
無色界道締癡(むしきかいどうたいち) 悪行
無色界道締慢(むしきかいどうたいまん) 悪意
無色界道締疑(むしきかいどうたいぎ) 疑心
無色界道締邪見(むしきかいどうたいじゃけん) 果報が自分に帰ってくると知らない
無色界道締戒見取見(むしきかいどうたいけんしゅけん) 間違いに執着する
無色界道締戒禁取見 (むしきかいだうたいかいごんしゅけん) 妄信
修惑欲界貪(しゅわくよくかいとん) 生来持っている欲求
修惑欲界瞋 (しゅわくよくかいしん) 生来持っている怒り
修惑欲界癡 (しゅわくよくかいち) 生来持っている悪行
修惑欲界慢(しゅわくよくかいまん) 生来持っている慢心
修惑色界貪(しゅわくしきかいとん) 制御しがたい欲望
修惑色界癡 (しゅわくしきかいち) 制御しがたい愚行
修惑色界慢 (しゅわくしきかいまん) 制御しがたい慢心
修惑無色界貪(しゅわくむしきかいとん) 抑えられない欲
修惑無色界癡 (しゅわくむしきかいち) 抑えられない悪行
修惑無色界慢 (しゅわくむしきかいまん) 抑えられない慢心
十纏無慚(じってんむざん) 自分に対して恥じないこと
十纏無愧(じってんむき) 他者に恥じないこと
十纏嫉(じってんしつ) ねたみ・嫉妬
十纏慳 (じってんけん) 物惜しみ
十纏悔 (じってんけ) 後悔
十纏眠 (じってんめん) 自由に身体が動かない
十纏掉挙 (じってんじょうこ) 心が騒がしくて静まらない
十纏惘沈(じってんこんじん) 心が滅入ってふさぎ込む
十纏忿(じってんふん) 憤怒
十纏覆 (じってんふく) 罪を隠そうとする

108の煩悩については、いまいちよくわかっていないが、今後それについて理解を深めていきたいところである。
まあ要するに、そのような108の人間の限りない悩みや苦しみの煩悩があり、その苦しみ悩みを踏み越えるよう、一歩ずつ「なむ、いずなだいごんげん」と念じながら、高尾山の男坂の石段を登っていけば良いのである。
それにより、人生をより良いものにしていくことができるかもしれない。

さて、というわけで、男坂の石段を登り、先に進み、薬王院の大本堂、飯縄権現堂などを通り、山頂まで歩いた。
今日の高尾山も、たくさんの人がいた。
それから再び元きた道で、下山した。
下山では若干道を変えて、登りでは通らなかった大師堂、聖天堂、愛染堂などのある道を歩き、そして女坂を歩いた。
今日はケーブルカーが故障したのか、止まっていた。
そのため、いつもは16時で終了になるリフトが、18時まで営業していた。
それで来たときと同様にリフトで下山したかったが、リフトは長蛇の列になっていたので、仕方なく一号路を歩いて下山した。
そして下に降りたあとは、下の商店街をぶらりと歩いてみて、色々と面白い店があることを知った。
そして高尾山口駅に戻り、家に帰ってきた。
高尾まんじゅうや、ジェラードなども食べた。

まあ今回の高尾山の登山は、そんな感じだった。
今日は大変だった。
というのは花粉の季節が来たみたいで、涙は出るわ、鼻水は出るわ、大きなくしゃみは連発するわ、目は痒いわで、大変だった。
もう冬も終わろうとしている。
もう杉の花粉の季節にも入ったみたいだし、もう春も近いと思った。
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