登山サークル アウトドアチャイルド

登山サークル アウトドアチャイルド

<<「第一一回サークル登山 一四」
年末年始の迷走
投稿日
2026/01/02
 一

 二〇二五年十二月三十一日。水曜日。八時五十八分。青梅行きの電車の中。温かい爽健美茶を飲んでいる。青梅駅に到着後は、温かい蕎麦茶を飲む積だ。大盤振る舞いで、スイカに五千円もチャージしてしまった。大晦日の魔力で、財布の紐が緩んでしまっている。
 九時七分。青梅駅。東京行きの電車の中。温かい蕎麦茶を飲んでいる。今日は都内のお寺に除夜の鐘を聞きに行こうかと思っているが、おそらくそこまでいかず、途中で引き返すだろう。スマホの充電器、防寒具、ノート、ボールペン、雨具など、装備は万全に整えてきた。除夜の鐘を聞いた後は、漫画喫茶で一夜を過ごし、始発で帰ってこようなどと、金をたくさん使いそうな事を考えているが、おそらくそこまでの贅沢はしないだろう。とりあえず立川駅のコンビニでチーズパンを五個くらい、スイカで買う事になるだろう。それから都内に向かう流れを考えているが、恐らくどこかで引き返すだろう。そして家でユーチューブを観るだろう。酒は飲まないだろう。
 そんな感じで、なんとか大晦日をやり過ごすだろう。そして明日——元旦は、もしかしたら久しぶりに高尾山に登るかもしれない。その位の贅沢はするかもしれない。あるいは、それもしないかもしれない。
 電車が止まった河辺駅の今は、車内はがらがらで、悠々と座れているが、立川に着くまでに屹度電車は混むだろう。身につけた服は都内遠征のための一張羅である。まさに孫にも衣装。モンベルで買った高級ズボンを穿いている。いつも穿くのはあちこち破れた襤褸ズボンだが、今日はそうじゃない。見合いに出かけても良いくらいの、金のかかった服装——どこに出しても恥ずかしくない、お洒落な格好である。そのため男前は普段の五倍くらいだろう。
 最近は数学のユーチューブをよく観ている。世界は数式で出来ているからだ。便利な世の中になったものだ。優秀な講師陣がユーチューブで完全無料で数学を教えてくれるのである。私は仕事でプログラミングをしており、今は数式こそが、もっとも面白いプログラミング言語なのではないかと期待している。なぜなら世界は数式で出来ているからだ。しかし英語数学まるで駄目な私は、三角関数や微分積分がまだよく分かっていない。そのほかにも色々とまだよく分かっていない。数式をバリバリ書けるようになりたいが、その道は遠い。もし可能なら、世界は数式で出来ているという物理学者の言葉を実感したい。数学は美しいという講師の言葉を実感したい。
 最近都市伝説に興味を持つ私は、死後の生命を信じているが、但し生き残るのは無意識の自分だけだろう。やっぱり顕在意識の自分は死ぬだろう。そして私は今、未来永劫生き続け、永久の過去から生き続いている無意識の自分の声や意向を、少しでも多く聞き取りたい。それが永遠の生命に参加するという事だ。私の顕在意識はすぐに滅びる一瞬のあぶくに過ぎない。しかし永久に生き続ける阿頼耶識——運河がある。それはまさに青雲。君がいつか見た光。
 とかなんとか云ってるうちに、糞がしたくなってきた。その排泄欲求が、私の都内遠征欲を、粉微塵に打ち砕くかもしれない。そうすると、私は無事に帰宅し、マネーの大量出費を免れる。そして家で静かに過ごすだろう。家には米も豚汁も納豆も長ネギもある。蜜柑だってキムチだってハチミツだってある。だから更に何かを買う必要はない。娯楽だって完全無料のユーチューブがある。
 十時二十三分。東京行きの電車に乗っている。次は中野。とりあえず新宿で降りようと思う。立川駅のトイレは空いており、易々と排便でき、それからチーズパンを二つ食い、腹拵えもした。だから自然と都内に向かう流れが出来てしまった。まさに、自由意志はない。
 AIによると一般的に除夜の鐘は夜十一時ごろから鳴り始めるらしい。ネットで調べ、除夜の鐘で有名らしき、港区の増上寺とやらに行ってみようと思っている。浜松町駅から徒歩で十分程度で行けるらしい。それと、築地本願寺というのも気になっている。そこではホットミルクの振る舞いや焚き火、キッチンカーの出店もあり、なかなか楽しげである。
 十時四十九分。新宿駅のホーム。とかなんとか云いながら、もう帰ろうとしている。高尾行きの電車に乗り込む。
 ケチがついたのだ。駅のコンビニでチーズパンを二つ買ったのだが、その賞味期限が、なんと今日までだったのだ。それでケチがついた。もう帰ろうと思った。
 しかし流石都内には、普段お目にかかれないような、お人形さんのような、ナウでキュートな御婦人が、ゴロゴロいるものだ。それに眩暈を覚え、これぞまさに、アリスワンダーランドに迷い込んだような、変幻自在な気分である。これはもうさっさと家に帰って、豚汁とご飯を食うしかない。そうしないと都会の魔力に惑わされ、初めてのキャバクラを敢行し、すべての財産を失い、さらに大借金をこさえ、不遇の人生に突入するという、大気圏突入みたいな目に遭ってしまう。そうなると、もはや豚汁は食えず、毎日具なしの味噌汁になってしまう。
 それもまた煩悩が。やはり私は、地の果て奥多摩で、猿やカモシカと遊んでいるのが、身の丈に合っている。金を使う気はさらさらないダラケ者は、都内不合格、都内はまさに、金に糸目をつけず、遊びに生命をかけるような、筋金入りの本物の遊び人でないと、立ち入り禁止である。地の果て青梅市に向かう電車の中にも、若くて可愛い御婦人はいるが、しかし都内の絶世の美女群に比べると、まさに芋姉ちゃん、その実力差は段違い。
 しかしまあ、今日はせっかくの大晦日だし、少しは羽目を外しても良い。だから、羽村駅で降りて、ええい、ままよ、エビスビールの五百リットルでも、鯨飲しようではありませんかのクラッカー。とかなんとか云ってるうちに、車内の人が増え、隣に人が座ったので、一旦、電車から降りよう——と思ったら、隣の人が、他の席に移った。
 でも思うけど、別に羽村駅まで我慢することなく、すぐにビールを飲むことが許されている訳だが、それでもやっぱり、酒が鬼弱い私は、車内でダラシなく酔っ払うのもみっともないので、羽村駅まで我慢した方が良いだろう。しかし前の二人の御婦人は、確かにさっきは芋姉ちゃんとか云ってしまったが、よく見ると、私には未来永劫手が届かないクラスの絶世の美女たちであることに気づいてしまっている。クレオパトラと小野小町と小野妹子の生まれ変わりだろう。小野妹子をネット検索してみると、ふかわりょうが云っていたように、小野妹子って、おっさんじゃねえか!
 さて、国分寺に停車中。立川で降りないと、高尾まで行ってしまう。今日、高尾山なんかに行っても、意味ないからなあ。
 車内が混んできたので、広々とした空間を求め、立ち上がり、ドアの前に陣取る。
 しかしなんと良い天気か。世界はなぜこんなに色とりどりなのか。物質のすべては量子の塊である筈なのに。なぜ白とか黄色とか青があるのか。可視光があって、なんか知らんけど、色ができ、それが色だと認識しているのは、単なる電気信号を変換する脳みその働きである。脳みそと云ったところで、味噌汁の味噌ではない。それは料理に使われない。
 やれやれ、嫌という程蕎麦茶をがぶ飲みしてるものだから、また小便がしたくなっており、また糞もしたくなってきた。まさに糞の製造機だが、残念なことに、農業では今は肥溜めではなく、人工肥料が使われている。人糞に使い道はない。
 十一時三十五分。青梅行きの電車の中。温かい蕎麦茶を飲んでいる。これから羽村駅でエビスビールを飲むのか飲まないのか。それが問題だ。飲んでも良いような気がするが、飲まない方が良いような気もしている。なぜなら酔っ払うと知識欲は完膚なきまでに失われてしまうからだ。ただでさえ乏しいそれが完全に失われてしまったら、大晦日の残りの時間は生きる屍になる。それは良くない。だから飲むのは止そうかなあ。
 自由意志はない。飲むのか飲まないのかは既に決定しており、宇宙の始まりから終わりまで、時間は存在せず、今も過去も未来も同じ重さで同時に存在し、それは紙芝居、パラパラ漫画、意識だけが動いており、その他には何一つ動いていない。しかし量子は観測されるまで確定せず、あらゆる可能性の束である。そしてことによるともしかしたら、ビールを飲んだ自分と飲まない自分で、世界はパラレルワールド、枝分かれしているのかもしれない。酔っ払ってAVを観続ける大晦日と、数学ユーチューブを観ている素面の大晦日と、枝分かれするのかもしれない。酔っ払って数学ユーチューブを観る事は無い。なぜなら酔っ払いに知識欲はない。
 十一時四十九分。拝島駅に停車中。電車は地の果て羽村に近づいている。そこでは原住民たちが千年前から変わらない原始的な狩猟生活を送っており、暴力の支配する世紀末、どこもかしこも敵だらけで、タフボーイたちが蠢く、巫山戯た世界である。

 二

 二〇二六年一月一日。木曜日。八時二十三分。立川行きの電車の中。浅草あたりに繰り出そうかと思ったが、やっぱり金が勿体ない。立川でUターンして帰ろうか。そしてまた数学ユーチューブでも観ようか。蕎麦茶蕎麦茶蕎麦茶と、ノンカフェインの蕎麦茶を飲みまくって、英気を養う。カレーも食ってしまわないといけない。まあ、あんまり特別なことはしない方が良い。
 しかし、数式は本当に言語なのか。次のプログラミング言語なのか。数式で、何が作れるのか?
 綺麗なお姉さん出現。波、振動、周波数、波長。方程式。オイラーの公式。

 三

 二〇二六年一月二日。金曜日。昨日はウイスキーを二百ML飲んだ。
 七時二十九分現在、立川行きの電車に乗っている。とりあえず東京方面に向かうつもりだが、きっとまた、どこかで引き返すだろう。そして家に残っているカレーを食うだろう。
 昨日は酔っ払い、元旦そうそう、AVを観続けた。性欲が、己を汚す。トラブルや諍いの根本原因が、性欲のように思われている。性欲こそが、精神の清浄を損なうものである。どれほど仏教の修行をしたところで、性欲を消すことは無理だろう。そしてその性欲が失われてしまうのも寂しい。いつも性欲旺盛でありたいと願う。その矛盾。善良な一般市民でありたいと願う反面、それを損なう最大の要因である、性欲が旺盛であることも願う。
 そしてやっぱり酒を飲んで酔っ払うと、やっぱり創作欲や知識欲は損なわれてしまう。数学ユーチューブも昨日は全然観なかったし、今もまた、何かを創作したいとか、まったく思わない。私が今もっとも求めなければいけないものは、創作欲ではないか。そのためのインプット、経験。しかし金をケチり、経験なんか、全然しない。性欲みたいなこと以外、何もする気が起こらない。例えば登山とか。初詣とか。除夜の鐘を聞きに行くとか、そんなの、やっても意味ないじゃんと思い、全然したいと思わない。そして、ただひたすら節約生活を続けている。金を稼ごうという気も起こらない。これではまるで生きる屍。
 こんな時は青梅丘陵ハイキングとかした方が良いのかもしれない。ユーチューブは、もしかしたら観ない方が良いのかもしれない。しかし、シュレーディンガー方程式を、まだ全然理解できていない。
 しかしあれだな。なんなら今から古里駅まで行って、肉まん大量買いでも、やらかそうかな。それで少しは心の景気が良くなるかも。家でせこせこ作業なんかしても詰まらないからなあ。しかし酒飲むと、シュレーディンガー方程式とか、全然関係なくなってくる。研究意欲が失われる。すべてが脆くも崩れ去る。そして汚らしい行為ばかりを幾度も重ね、いつしかコミュニケーションが億劫になってしまっていることに気づいている。すべては成功という名のもとに収束できれば良いが、それはほど遠く、そのカケラも見えていない。救われない。その一言に尽きる。

<<「第一一回サークル登山 一四」