登山サークル アウトドアチャイルド

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スパイシーチキンと共に赤ぼっこ 2022年6月14日(火)
投稿日
2022/06/18
登山日:2022年6月14日(火)

健康状態を考えると二日に一度は登山をしたほうが良いのではないかと考える、今日この頃である。
今日は朝は十時ごろに起きて、窓の外を見てみたが、どうやら雨が降っているようだ。
天気予報を見ると、今日も明日も雨が降るらしい。
二日後には天気になるようなので、登山に行くのは二日後にしようかとも、少し思った。
で、さらに一時間ごとの天気というのを確認してみると、東京都青梅市は17時までは曇りで、それ以降は小雨という天気予報になっていた。
つまり雨が降っているように見えるが、実は雨は降っていない、単なる曇りである。
それを確認した私は、じゃあ登山に行こうと、すぐ思った。
そして空のペットボトルに水道水を入れて、そしてジプロックにゴハンを詰めて、その上に「きゅうりのキューちゃん」を載せて、それを今回持っていく弁当とした。
でも今回は、山で食べるゴハンとして、コンビニで肉を買っていこうかと思った。
ファミマでスパイシーチキンとか、セブンイレブンで「揚げ鶏」かナナチキあたりを購入して、山頂で食べてみようかと思った。
それを考えると、別にジプロックにゴハンを詰めた弁当は持っていかなくてもいいかなと思ったが、でも念のため、一応弁当も持っていくことにした。

で、まず支度をして、外に出た。
そしてレシートを渡さない店員がいるファミマに、あえて行ってみることにした。
その店員さんがムカつくので、そのファミマには行かないようにしているのだけど、でもそうなるとファミマでスパイシーチキンを買うことができない。
私の家の近所には、他にファミマは無い。
とりあえず、そのファミマへの苦手意識を克服するという意味でも、とりあえずそのファミマに行ってみようと思った。
そしてその「レシートを渡さない感じの悪い店員さん」がもしいたら、そのときは何も買わずに出ればいい。
そのような方向性で、まずその問題のファミマに入ってみた。
すると店内には感じの良い店員さんと、あとは新人の店員さんがいるだけであった。
つまりあの「問題の店員さん」は、いなかった。
それで今回はそこでスパイシーチキンを四つ、すべて購入することにした。
購入する時に「レジ袋をください」と言い、さらに「おしぼりも一つください」と言った。
で、料金は643円だった。
スパイシーチキンは一つ、160円のようである。
レジ袋は3円だ。
その新人の店員さんは、しっかりレシートをくれた。
通常は、みんなレシートをくれるものである。
弁当屋さんとかでは、レシートをくれない人もいる。
あるいは小さなお店とかでも、レシートをくれない人がいる。
奥多摩にある感じの良い店なんかでもレシートをくれない店もあるが、そんなケースの場合はあまり気にならない。
レシートをもらわなくても、接客がとても感じが良いので、別にいいかなと思う。
でもコンビニでレシートをくれないと、かなり気になる。
で、大抵の店員さんはレシートをくれるし、レシートをくれるのが当たり前みたいな感覚になっているが、しかし中には絶対にレシートをくれない店員さんもいるのである。
いや、「レシートください」といえばくれるが、言わなければ絶対にくれないのである。
商品をたくさん買っても、いつもレシートは絶対にくれないのである。
だからいつも必ず「レシートください」と、強い口調で言わなければいけないハメになる。
その人は結構、人の顔をジロジロみるタイプの人で、私は毎回、「レシートください」と、いちいち言い続けているので、私がレシートを欲しがる客だというのは完全にわかっているにもかかわらず、それでも絶対にレシートをくれないので、なんかそこに悪意を感じてしまうのである。
それで毎回そんな感じなので、しまいには私もイラッとしてしまい、「レシートくださいって、何度言えばわかるんですか!」と、しまいには怒鳴ってしまうかもしれない。
そのようにしてついつい感情的になり、怒鳴ってしまうかもしれない。
そんなことになるとみっともないし、そんなことになるともうそのファミマも利用しずらくなるので、そんなことになるのは絶対に避けなければいけない。
となるとやはり、その店員さんとは接しないほうがいいという選択になる。
そうすれば店員さんを怒鳴ってしまうような事態を、防げることができる。
怒鳴ったからと言って、あの頑固そうな店員さんは、その後もずっと絶対にレシートは渡してくれないと思う。
そうなるとますます、「一体何回いえば気がすむんですか。いい加減にしてください!」などと、毎回毎回、怒鳴らなければいけないハメになる。
となると、「いつも怒鳴ってる面倒臭い客」という風に、みんなから思われてしまう。
そしていつの間にか、百パーセント私が悪い、みたいな感じになってしまいかねない。

そのような心配があったが、今回はレジが初々しい店員さんだったので、普通にマニュアル通り、レシートをくれた。
ただし「おしぼりも一つください」と言ったが、おしぼりは入っていなかった。
そこは、ミスである。
でも悪気があったわけでもなく、わざとミスしたわけでもない、単なる小さなミスである。
それに対しては、まったく腹は立たない。
別におしぼりはなければないで、一向に構わない。
でも一つくらいあったほうがいいかなくらいの、軽い気持ちであった。

というわけでまず今回持っていくものとして、スパイシーチキンを四つ買って、それをザックに入れた。
山頂でスパイシーチキンを食べるのは、はじめての試みである。

しかしまず思ったのは、マンションから外に出たとき、すでに雨が降っていた。
一時間ごとの天気予報では、「17時までは曇りで、それ以降に小雨」というふうになっていたにもかかわらず、今日はすでに最初から小雨が降っていた。
で、いきなりレインコートを着るのも嫌だったので、一度家に帰って、折り畳み傘を持ってきて、その傘を差して、ファミマで買い物して、最寄駅へと向かったのである。
スパイシーチキンを買って、金を使ってしまったので、だったらどうせだったら温かいお茶も購入して、それを飲みながら歩きたかったが、しかしそれは我慢した。
原則、あまり金を使ってはいけない。

と、言いながら実は昨日、三千円も使ってしまった。
というのは派遣会社から連絡があって、電話でなんか色々話すことになり、そのようなことがあったので、うっかりして簡単に仕事を紹介してもらえる気になってしまったのである。
それで、財布のヒモが緩んだ。
そして派遣会社の人と電話で話をしたりするだけで、何か仕事したような気になってしまったし、そして近々また仕事できてお金が入ってくるみたいな甘い考えが生じてしまい、その結果、財布のヒモが緩んでしまった。
いや昨日はたぶん、三千円以上使ってる。
まず立川にいったが、そのときにスイカに千円、チャージした。
そして本屋で、1100円くらいの本を買った。
そして山田鶏屋でパリジューチキンを四つ買って、その料金は960円くらいだった。
で、家に帰ってきて……
うん、その後は何も買っていないと思う。
となると、スイカに千円チャージして、本買って、パリジューチキンを買ったので、それだけで三千円は使ってる。
そのように明らかに、無駄使いをしてしまった。
で、派遣会社から仕事を紹介してもらったのだが、仕事紹介というよりも、「こんな仕事ありますが、エントリーしますか?」というような紹介の仕方で、で、その紹介された案件というが、どれもこれも、とんでもなく面倒くさそうな、厳しそうな、いかにも大変そうな、そんな案件ばかりであったので、正直げんなりした。
今まで私は職場では非常に苦労をしていて、本当に難しい職場ばかりであったのである。
そういう過去の経験がまざまざと蘇ってきて、いかにもそのような厳しい職場に違いないような、いかにも不人気そうな案件ばかりを紹介してくるので、正直げんなりしてしまった。
でも思えば、今まで私がお金を稼ぎ、食べてくることができたのも、そのような厳しい職場に入って、頑張って、苦労したからこそ、今まで収入が途絶えず、生きてこれたのである。
でも今はまた同じような職場に入るのは、厳しいと感じてしまっている。
というのは直近の仕事が、けっこう楽だったからである。
直近の仕事は、今までで一番楽だった。
でも、それでも色々と不平不満を感じてしまい、でもそれでも続けたいと思い、その職場は週に四日で働いていたが、もっと収入を増やしたいと思い、「週に五日働かせてください」とお願いしたが、それが断られてしまい、それで結局、「だったらやめます」とばかりに、結局、最後の最後まで、週に四日か五日かの交渉、駆け引きを繰りひろげたのちに、結局、退職することになってしまった。
本当はもうちょっと頑張って働いたほうがよかったのかもしれないが、多少は貯金もできたので、だったらこのままズルズルと続けるよりも、一度退職してしまったほうが、自分の成長のためにも、きっと良いだろうと考えたのである。
とは言っても、今のこの生活に一体どんな成長があるというのか。
ただ怠けているだけ。
ただ遊んでいるだけ。
そんな風に思わないでもないが、でもまあ最近読書に励んでいるし、小説を書こうという努力なんかもしているし、これはこれで良いのではないかと思う。
まだ別にすぐに働かなくても、すぐには貯金もなくならないので、もう数ヶ月は遊んで暮らしても大丈夫なので、だったら今のこの機会に、本でもたくさん読もう、そして小説も、書けるなら書こう、そのように思っているのである。

ほんと仕事していると、結局本なんか読んでるヒマないし、小説なんか延々書けないし、日々に追われ、終わってしまうだけである。
そんなことしているうちにすぐに老いて、おじいちゃんになってしまう。
だから今、もっと頑張らなければなと思う。
昔から私は小説家になりたいという夢があった。
でも、全然小説書いていない。
そもそも小説書きたいと別に思わないし、別に書くこともない。
それでも二つほど渾身の作品を書いたが、そしてそれを文学賞に応募したが、しかしそれは一次選考さえも通過しなかった。
もうすぐ四十九歳でこんな感じだと、さすがに才能ない、文才ない、能力ない、頭が悪いということが、さすがにわかってくる。
でもだからと言って、まだまだ諦めてはいないわけである。
だからそのための時間を、しっかり確保したい。
このまますぐに働きに出ても、仕事ってすごく大変で、もう仕事してると他のことしてる余裕もなくなるし、小説とか書くヒマないし、読書もするヒマないし、結局何もできぬまま、おじいちゃんになってしまう。
だから今、お金があるうちは節約して、なるべくたくさんの本を読む。
そして、文章を書く。
そしてできれば、小説を書く。
いやできればではなく、小説は書く。
それをまずやらなければいけないなと、今思う。
でも別に小説は、書くことが無い。
だからせめて、本を読んでいる。
読んでいれば何か書くことが見つかるかもしれないと、そんな風に思っている。

というわけで、自宅から宮ノ平駅まで移動して、そこから登山口まで歩いていく。
そこまでは、傘を差して歩いた。
お馴染みの、和田橋を渡っていく。
そして登山口からは傘をしまい、レインコートを着た。
で、何度も歩いているこの道のりだが、初めて気づくこともある。
あ、こんなところに沢があったのか。
とか、
あ、そういえば、ほぼほぼずっと舗装された道だなあ、
とか。
ここは、コンクリートで舗装された道だ。
では通常の舗装は、あの黒いボツボツみたいなやつは、あれの正式名称はなんていうのかなど(アスファルト!)、気になりながら歩く。
小雨の中の登山である。
小雨かつ、平日の登山である。
この道のりはたいてい無人の道のりだが、それでも土日や晴れの日などは、ちょくちょく人とすれ違うこともあるが、今回はさすがに完全に無人である。
そのように進んでいき、お馴染みの金網に突き当たる。
ここまで来るまでに、すでに良い運動になっている。
たっぷり汗もかく。
こんな程度の登山で、登山と言って良いのかとも思ったりするが、まあこれも一応、登山は登山である。
金網沿いに、右の道を進む。
しばし進むとお馴染みの三叉路に出て、一番右の、折れ曲がった道を登っていく。
そしてまたしばし進むと、最後に土と丸太で作られた階段が出てきて、その階段を登りきると、赤ぼっこの道標が出てくる。
もう、赤ぼっこはすぐそこだ。
雨が降っているため地面はすべりやすくなっていて、二回ほど、あやうく転倒しそうになってしまった。
そして赤ぼっこの山頂に到着。
山頂には、二つのベンチがある。
そして樹木が一本、立っている。
雨よけのため、樹木がかぶさっているほうのベンチに座る。
赤ぼっこの標柱をみると、そこには真っ黒なつるつるの石に、二つの寄り目の目をつけた、「となりのトトロ」に出てくる、お手製の〝まっくろくろすけ〟が、ゴロゴロと、十匹くらいだろうか、転がっている。
一体これ、誰が作ったのか。
赤ぼっこ、イコール、トトロ、みたいな、そんな演出、誰が考えたのか。
トトロにもしかしたら、赤ぼっこが出てくる?
物語の背景として、赤ぼっこがもしかしたら、出てくるのかもしれない。
山頂の標柱に、「宛先:トトロ 住所:赤ぼっこ」などと書かれた郵便受けが付いていて、その中に、数冊のノートが入っている。
そしてそのノートに登山者たちが、思い思いに好き勝手に、メッセージを残している。
今回は雨なので、そのノートを開いてみようかという気にはならなかった。
さて今回はこの赤ぼっこの山頂で、スパイシーチキンを食べなければいけない。
それでベンチに座ってスパイシーチキン四つを、貪り食った。
雨だから人は来ないとは思うが、それでも人が来るかもしれないと思って、ヒヤヒヤした。
というのは、まるで家の中で食べてるときのように、みっともなく、あさましく、欲望むきだしの食べ方で、スパイシーチキンを貪り食っていたものだから、そんな姿、絶対に他者には見られたくないと思ったのだ。
でも今にも人が来るかもしれない。
だからもう、スパイシーチキンは大急ぎで食べてしまうに限る。
そんなふうに慌てて食べたので、山頂で食べるスパイシーチキンが美味かったのか美味くなかったのか、よくわからなかった。
そのときに、レジ袋の中におしぼりが入っていないことに気づいた。
ファミマで、「おしぼりも一つください」と言ったのだが、入っていなかった。
でもまあ別に、気にはならなかった。
新人の店員さんみたいだったし、よくある小さなミスであろう。
その後、なんとなくまだ食べ足りなかったので、さらに、「ごはんにきゅうりのキューちゃんを載せた弁当」も、続けて貪り食った。
やはりその弁当の食べ方も、家の中で食べるような、みっともない、汚らしい食べ方だったので、だから食べてる最中に人が来ないかと思って、ひやひやした。
それで大急ぎでかっこむようにして、弁当を貪り食った。
アリさんたちへのプレゼントとして、ごはんを少し地面に落としてあげたが、しかし雨のため、地面にはアリは一匹もいなかった。
「さて、帰るか」とつぶやいて、私は口をもごもごさせながら立ち上がり、歩き始めた。
まだ口の中にはごはんが残っている状態で、さっさと下山を始めた。
するとまたずるりと足がすべり、あやうく転倒しそうにもなった。

さて下山である。
松龍山方面に行きたいところだが、しかしその道のりは、道が悪い。
両脇が茂みの、細い道を歩いたりなどする。
いかにも登山道、というような少し険しい道のりになる。
しかし雨が降っているので、そのような悪い道は歩きたくない。
ここはもう、ピストンである。
来た道と、同じ道で帰る。
素直にピストンで帰る。
そのように決め、登っていきた道と同じ道で、下っていく。
しかし山頂で食事をして、後味がすこぶる悪い。
山頂でスパイシーチキンを食べるというのは、どうもあまり適切ではない。
スパイシーチキンは肉汁たっぷりで、こってりし過ぎている。
「きゅうりのキューちゃんごはん」も、いまいちだった。
それだったら、〝糖しぼり大根〟とかいう、大根の漬物をごはんに載せて食べた方が、はるかに良かった。
後味が悪いものだから、あまり気分が良くない。
しかし、それはいかがなものか。
食べることにもっと感謝をしなければいけないのではないか、本来は。
スパイシーチキンを食えて、ごはんと「きゅーりのキューちゃん」を食えて、そのことにもっと感謝をしなければいけない。
食えてることに、もっと感謝をしなければいけない。
それなのに「後味が悪いとか良い」とか、贅沢を言ってしまってる。
けしからん話である。
だったら、もう二度と食うなと言いたい。
二度と食事をせずに、餓死してしまえと言いたい。
二、三日食わずに、過ごしてみるか。
そうすれば食べものの有り難みが、わかるのではないか。

そんなことを思いながら金網ぞいの道を下っていると、巨大なキノコが二本、生えていた。
おお、これは。
巨大なナメコのようである。
ナメコと全く同じ、黄色い色をしている。
これは食えるのはないか、さすがに。
キノコを地面から、むしり取ってみる。
そして、いろんな角度でスマホ撮影をする。
これは、ナメコではないか?
匂いをかいでみる。
いかにも食用らしき、キノコの匂いがする。
スーパーで買っているキノコと同じ、良い匂いがする。
これはさすがに食えるだろう。
とは思うが、キノコは危ないので、なかなか手が出ない。
キノコの本でも買って勉強すればよいのだけど、まあお金がもったいないし、なかなかそんなに軽々しく出費をすることはできない。
キノコはおいていく。
まだキノコを食べるには、あまりにも知識不足である。
下山を続ける。

あとはこれといった印象もなく、雨の中もくもくと下山を続け、やがて普通の道に出る。
そしてお馴染みの、和田橋に向かう。
途中、玄関口で話をしている、そのあたりの住民に出くわす。
住民は私のほうを見なかったが、なんとなく、「なんだこいつは、不審なやつめ。雨なのに、なんで登山の格好をしているんだ、こいつは。怪しいやつめ」とでもいうかのような、そんな警戒心のピリピリした感じが、なんとなく伝わってきてしまう。
私はそれに気づかないふりをして、いかにも呑気ものを演じて、その場でザックをおろし、ザックの中から折り畳み傘を引っ張り出して、傘を差す。
「どうだ、傘をさしたぞ。雨の中、傘を差して歩く。それで普通だろ? これで文句ないだろ」と、ぶつぶつ呟く。
レインコートを着ているので、必ずしも傘は必要ではなかったが、雨の中、傘を差さずに歩いていると、「なんだこいつ?」みたいな目で見られてしまうので、優雅に傘を差して、貴族然とした態度で、歩いていく。
いかにも、「こいつ、平日に仕事もせず、こんなところをほっつき歩き、なにしてんだ?」などと、思われてしまいがちであるが、それに潰されることなく「ふっふっふ。わたしはねえ、資産家なのだ。資産家というものは、もう働かなくてもいいのだよ。もう一生分の金は、もっとるのだよ。ふっふっふ。それが貴族というものなのだよ、ふっふっふ。金があれば、働く必要はないし、人間関係で苦労なんかも、まったくしなくてよいのだよ、ふっふっふ」と、楽隠居者然とした、余裕をぶっこいた態度で、歩いていく。
実際は資産家なんかとんでもなく、このように遊び歩いていられるのも、今だけである。
もうタイムリミットは迫っている。
せいぜい、数ヶ月間だけのお気楽生活である。
その後はまた、まさに地獄、まさに煉獄、このご時世で、また歯を食いしばって、働いていかなければいけない。
職場に入り、小突き回されなければいけない。
そうなるといかにも哀れな乞食然とした態度で、会社からお給料を恵んでもらわなければいけない。
大して良い仕事もできないくせに、お情けでお給料を、恵んでもらわなければいけない。
「人柄が良いですよ!」とアピールして面接してもらい、どこかの職場に潜り込み、コメツキバッタのようにペコペコして、乞食然とした態度で、愛嬌のある馬鹿として、頑張って働いて、お給料を恵んで貰わなければいけない。
会社様から、社会様から、お恵みを頂戴しなければいけない。

などと考えながら歩き、母なる和田橋も渡る。
さあここまでくると、宮ノ平駅まで、もうすぐだ。
そんなとき、雨がやんだ。
なんとまあ、登山が終わったこのタイミングで、天気になりやがった。
なんだこの、不運。
ハードラック。
だがしかし、本当にハードラックであれば、四十八歳まで生きてはこられなかった。
ここまで健康で、事故もなく無事に生きて来れているだけで、私はハードラックどころか、ラッキーマンだと断言できる。
その自らのラッキー人生に、感謝しなければいけない。

宮ノ平駅に到着したとき、急がなければ、もう四分で電車が来てしまう。
本当は駅前のトイレで顔とか洗いたかったが、そんな暇はない。
いそいでプラットホームに行く。
宮ノ平駅は無人駅である。

そして電車に乗る。
電車の中で何があったか、何一つ覚えていない。
別に大したことは、なにもなかった。
車内はガラガラであり、それでも登山の格好をした人たち、たしか中高年の人たちを、目にしたように記憶している。
青梅駅で乗り換えて、自宅の最寄りの駅に到着した。
とりあえず何はともあれ、家までまっすぐ帰ってきた。

家に買ってきて、カレーライスを食べた。
バーモンドカレー甘口、にんじん、じゃがいも、玉ねぎで作った、カレーライスである。
それで満腹した。
その後、読書に励んだ。
そして、原宏一という小説家の『ヤッさん』という小説を、最後まで読み終えた。
この原宏一という人は、小説家一本で食べていくことが難しくなり、過去には小説家を引退することも考えていたらしいと、あとがきに書かれていた。
確かに、地味っちゃ地味な小説家である。
あとがきを書いた人は、東なんちゃら(東えりか)とかいう人だと記憶しており、その人の職業は、〝書評家〟というらしい。
そんな職業もあるのかと思って、興味を持つ。
しかし相当読書しないと、そう簡単にそんな職業にはつけるものではないのだろう。
『ヤッさん』を読んだ後はいよいよ、村上春樹大先生の、『騎士団長殺し』という小説を、とうとう読み始めた。
この小説はもう一年以上前に購入したまま、「いつか読もう、いつか読もう」と思いながら、ずっと押し入れの中に眠っていた小説である。
村上春樹の小説なので、きっと面白いに違いない。
だから確実に面白い小説は、後にとっておこう。
まずは、面白くなさそうなものから片付けよう。
とばかりに、つまり食事をするとき、「一番好きなものは最後に食べる」というような発想で、この村上春樹の『騎士団長殺し』は、ずっと眠らせていたのである。
その読書に、とうとう着手した。

翌日、『騎士団長殺し』の第一巻『顕れるイデア編(上)』を、読み終えた。
さすが村上、舌を巻く。
久しぶりに味わった〝村上ワールド〟。
やはり、村上ワールド、べらぼうに面白い。
思わず私はブックオフに繰り出し、すでに読んだことがある、『海辺のカフカ』の上下巻と、『1Q84』の全六巻を、すべて揃えてしまった。
いやあ、面白い。
村上ワールド、やっぱりやばい。
やばすぎる。
面白いにもほどがある。
これが面白いということか!
などと、大絶賛してしまう。

とは言っても、しかしやはり私は、長時間の読書は難しい体質である。
長く読むと、疲れる。
でも、なるべく早く読んでしまいたい。
でも、しっかり内容を理解しながら読み進めないと意味がない。

しかし思ったのだけど、〝書評家〟という職業を、今から目指すのは難しい。
もしかりに、一日で二冊とか三冊とか四冊とか読めるような、読解力、読む力、読むスピードがあれば、大量の本を読んで読んで読みまくり、数年頑張れば、〝書評家〟になることも、可能かもしれない。
しかし残念ながら一日中読んだとしても、私は一日一冊がせいぜいだ。
それ以上読むのは、極めて難しい。
やはりある程度長い時間読んでいると、もうへとへとに頭が疲れてしまうのである。
そうなると文章がまったく、頭に入らなくなってしまう。
だからやはり私の場合は、たくさん読むのは無理である。
だから余程気にいった本とか、余程縁のある本とか、そういう一部の本だけを繰り返し、ゆっくりじっくり読んでいく。
そういう読書の仕方しか、私はできないかもしれない。
頑張って読んでいれば、読むスピードとか読解力とかがアップするとか、そんなふうにも思えない。
ここ最近、えんえん読書に励んでいるが、読解力とか読むスピードとかは、まったく変化がないのである。
だからまあ、〝書評家〟は、さすがに厳しそうである。
今はお亡くなりになった坪内祐三という人なんか、「常に読書している」というレベルの、凄まじい読書家で、やっぱり読むスピードなんかもべらぼうに早いし、読解力なんかも超人レベルだし、もう若い頃から読書三昧だし、早稲田大学第一文学部を卒業しているみたいだし、もともと頭いいみたいだし、やはりそういう人には、到底かなわない。
とも思う。
しかし別に、読書家うんぬんは、別にそれは競争じゃないし、たくさん読んでるからえらいとか、あまり読んでないから「読書家」を名乗る資格がないとか、そういう話でも、きっとない。
まあとりあえず、読みたいものを読みたいように読んでいけば、それできっと良いだろう。
別に坪内祐三さんレベルの読書家を目指そうなんて、思わなくていい。
そんなことを思うのは、ナンセンスである。
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