登山サークル アウトドアチャイルド

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今ごろ届いた、日高誠実
投稿日
2022/02/22
今日は仕事の方、なんとか今日中に終わらせたいと思って、がむしゃらになって頑張っていた作業、結局、終わりませんでした。
それで今、もやっとしてます。
明日は仕事は休みです。
まあそれはいいとして、先日、アマゾンで日高誠実の本を注文したのですが、その本が、2月20日に届く予定でしたが、その到着が遅れて、2月22日の本日、手元に届きました。
で、今まで、第2回更級日記千年紀文学賞という、文学賞に作品を応募しようと思って、頑張ってきましたが、でもその締め切りは、2月28日なのです。
で、さすがに、もうムリだなーと思って、今回は応募を諦めました。
なんか、色々うまく行きませんでした。

その賞ではどのような作品が募集されているかというと、「市原市の地名や人物、行事、自然、歴史等を取り入れた小説、紀行文、随筆」というものです。
で、第1回更級日記千年紀文学賞の受賞作も全てプリントアウトして、それぞれ三回くらい読んだのですが、どれも力作でした。
軽い気持ちで応募したとしても、絶対に受賞しないと断言できます。
余程良いアイデアが浮かばないと、絶対にムリです。
で、私は、この賞は市原市をテーマにした小説なり、随筆なりを書く必要があるものなので、それで私は二回、市原市に出かけたのです。
具体的にいうと、市原市の養老渓谷駅に二回行きました。
家からは片道四時間です。
交通費も片道だけで、3000円くらいです。
しかしまあ全く、ことごとくうまく行きませんでした。

まず最初に書こうとしたのは、市原市で一番標高の高い山で、大福山という山をテーマにした小説です。
その山の山頂には白鳥神社という神社があって、そこでは日本武尊が祀られています。
だから、生活に疲れた主人公が大福山に登って、日本武尊に会って、勇気づけられる、というような小説を書こうと思って、大福山に登ってみたのですが、大福山にて、色々と不都合なことが起こりました。
それは、狩猟疑惑です。
大福山に登ってると、突然、近くで銃声が鳴るのです。
それでびっくりしてしまいました。
近くで狩猟をしていると思い、銃で撃たれてしまうのではないかと思って、冷や冷やしました。
でもそれは、観光案内所で聞いてみると、なんでも、椎茸栽培をしている人が、サルよけのため、銃声を模した音を鳴らしているようです。
しかし、銃声があまりにも本物そっくりなので、大福山に登ると、とんでもなく怖い目にあってしまうのです。
それでなんかぶっちゃけ、正直いうと、大福山が大嫌いになりました。
そして、そんな銃声がするような状態を放置している市原市もまた、大嫌いになってしまいました。

おまけに大福山に登った後、梅ヶ瀬渓谷に降りようとしたのですが、なんと通行止めでした。
それで案内本では見所として紹介されていたルートの大部分が、通行止めのため、まったく歩けなかったのです。
その通行止めはいつまでたっても解除されず、電話で聞いてみても、いつになったら解除されるのは、全くわかりません。
なんでもそのルートは市原市ではなく、千葉県が管理しているらしいです。
だからいつ通行止めが解除されるのか、市原市ではわからないそうです。
なんか、意味がわかりません。

そのように私の中で、大福山のイメージは、かなり最悪に近いものになってしまいました。
こんな銃声が近くで鳴るようなところに、人を連れてくることもできません。
オススメの場所ではありません。
行かない方がいい場所なのです。

というわけで、最初の小説の企画は、完全に潰れました。
私は愛すべき私の読者に、大福山の銃声で、怖い思いをさせたくないのです。

それでもめげずに、今度は養老渓谷を歩いてみましたが、いやー、また通行止めだらけで、うんざりしました。
どこもかしこも、通行止めです。
なんだこりゃって、思いました。
市原市で最高に自然の良い場所、養老渓谷、なんと通行止めだらけです。
これはひどい。
とんでもない。
そんな風に思ってしまいました。

で、私の中で、市原市の良いところ、正直、一つも見つけるところができませんでした。
市原市、行く必要がありません。
そのような、残念な印象になってしまいました。

しかしまだまだ諦めず、最後に目をつけたのは、日高誠実です。
市原市の梅ヶ瀬渓谷に、旧・日高邸跡地があります。
そこで昔、日高誠実という偉人が住んでいました。

で、作品の方は三つ挫折したのですが、四つ目として、その日高誠実をテーマに何かを書こうと目論みました。
それで日高誠実について、ネットで色々調べましたが、あまりネットからは情報が得られませんでした。
しかし、日高誠実に関する本が出版されているようなので、それをアマゾンで注文したところ、手元への到着は予定よりも二日遅れて、2月22日に手元に本が到着したというわけです。

日高誠実という人は、とても素晴らしい人だったというテイストで、何か書こうとしましたが、でも結局、昔の人だし、実際に日高さんがどういう人だったのか、よくわからない話です。
養老渓谷駅の近くや、日高さんが作った学校の跡地や、大福山の山頂付近にも、日高さんの記念碑が建てられているようです。
まあ、死後、記念碑を建てられるくらいだから、もちろん並の人物ではありません。
それなりに、偉人だったのでしょう。

でもまあ、特別な偉人ではないと思います。
特別な偉人だったら、神社が建ちます。
日高誠実さんをご祭神とした、神社が建つはずです。
でもそんな、死んでから神格化されるほどの人物ではなかったということです。

まあ偉い人だったとは思いますが、それほどずば抜けてすごい実績のある人、というわけではないと思います。

で、やっぱり、すごくもない人を、すごいすごいと嘘をついて作品にするのは、あまりよろしくありません。
まあ、はっきり言ってしまうと、まあ、すごい人だったのでしょうが、でもまあ、特別そんなにすごい人ってわけではないと思います。
まあ、おそらく普通の人だったのでしょう。

それなりに人望もあったのかしれませんが、まあ、単に有力者であり、権力者であり、金持ちだったのでしょう。
だからまあ、みんなからチヤホヤされ、尊敬されていた、敬意を払われていた、と言ったところでしょう。

ただ色々と、日高さんは面白いところはあるのです。
日高さんはもともと、役人だったようです。
軍隊にいたようです。
で、50歳で、市原市の梅ヶ瀬に引っ越してきたのです。
で、梅ヶ瀬という地名をつけたのも、日高さんです。
で、日高さん、この梅ヶ瀬に、理想郷を作りたかったみたいです。
それで、日高さんはめちゃくちゃ頭が良くて、漢学とか勉強してて、東京で教授の仕事もしてたそうです。
とにかく、知識人でした。
それで、私設の学校を建てたのです。
そこで、青少年を教育したようです。
学問だけでなく、剣道とかも教えたそうです。
それだけでなく、畜産とか、木を植えたりとか、色々と事業もしたようです。
そのあたりの村の人たちと協力して、事業をしたようです。
でも、梅ヶ瀬は地の利が悪くて、大雪とか、大雨とか降ると、土砂崩れしたり、川が埋まったりとかするそうで、せっかく植えた梅の木も、全部倒れたりとかして、とにかく事業の方は、全然ダメだったようです。
それでも日高さん、80歳まで頑張りました。
で、80歳で、お亡くなりになりました。
その後は、後継者の人が事業を引き継いだのですが、でも結局、事業は失敗して、後継者の人も、梅ヶ瀬を後にして、千葉市に引っ越したそうです。
そのように、日高さんは梅ヶ瀬の地をとても気に入って、そこに理想郷を作ろうとしました。
それが日高さんの人生最後の、大仕事でした。
でも、仕事はうまく行きませんでした。
理想郷は、作れませんでした。

日高さんはとても頭が良くて、優秀な人でしたが、私が少し調べた限りでは、特に大きな仕事を成し遂げたとか、そういう実績は、何もありません。
それでも、「房総の仙客」とか言われて、仙人扱いされて、偉人扱いされてます。
まあ死後、有志が力を合わせて、日高さんの記念碑を作ったくらいなので、まあ、そこそこ、人望はあったのでしょう。
でも私は、意地悪に考えてしまう人間です。
元役人で、有力者で、権力者の日高さんが、梅ヶ瀬の地を、その権力を使って無償で入手して、まあ、色々と事業を始めた。
自分の学識をひけらかし、人から尊敬され、偉そうな顔をしたいため、学校を作って、無学な人たちに勉強を教えて、たっぷり優越感に浸った。
でも、事業は全部、失敗した。
要するにこの人は、威張りたいだけの人だったのではないか。
偉そうにしたいだけの人だったのではないか。
とにかく金を持っているし、力も持っている。
事業を始め、どんどん金を使う。
それにあやかって、近所の人たちも、日高さんの気の済むように手伝って、たくさんお金をもらえる。
そんな、旦那然とした人物だったのではないか。
お気に入りの場所を見つけて、そこに理想郷を作ろうとした。
金と権力にものをいわせ、たくさんの人と協力して、たくさんの人を雇って、指示をして、偉そうな顔をして、人生の最後に、道楽みたいな仕事した。
そんな人だったのかも、しれません。
まあ、普通の人だったのではないでしょうか。

やれやれ日高さん、とか。
日高さん、また失敗したよ、とか。
色々陰で、言われていたのかもしれません。
日高さん、ダメだなーとか。

勉強はできるみたいだけど、事業とか、全然ダメだね、とか。
勉強できても、無能だよね、とか。
勉強なんかできても意味ないという、見本みたいな人だよね、とか。
陰で色々言われていたのではないでしょうか。

もちろん、実際の日高さんがどんな人なのか、わかりません。
今手元にある本、「房総の仙客 日高誠実 日向高鍋から上総梅ヶ瀬へ 渡邊茂男」という本を読んでも、日高さんの本当の姿なんて、絶対にわからないでしょう。
単に、このような人なのではないかと、想像してみることくらいしかできません。

まあとりあえずですね、更級日記千年紀文学賞という賞は、毎年やってみるみたいなので、今年は諦めますが、来年は、また応募してみようかと思ってます。
そのために、今から準備します。
日高誠実さんをテーマにして、何か書けないか、考えてみます。
選考委員長は、椎名誠さんです。
それで椎名誠さんの本も、二つ買ってきたので、それも読んでみます。
後はまあ、更級日記も、またちょっと読んでみますかね。
でも市原市は本当に、あまり見所がありません。
グルメも、特には楽しめません。
まあ、工場が多いみたいですね。
金持ちみたいです、市原市は。
Jリーグのサッカーチームもありますしね。
まあ現状、市原市の良いところ、特に一つも見つけることできませんでした。
現状は、悪いところばかり、目についてます。
現状は申し訳ありませんが、市原市には絶対に住みたくないです。
まあ、田舎ですしね。
一番栄えている五井駅周辺も、ほとんど何もないですよ。
本当に、何もないところで、ビビります。
でもせっかくなので、市原市の良いところ、ムリやり探しますよ。
日高さんは、梅ヶ瀬に出会って、すごく良いところだと思ったみたいだし、ここを自分の人生の最後の住処にしようと、決めました。
そして、その地に理想郷を作ろうと思ったわけです。
ハマる人は、ハマるのかもしれないですね、市原市。
まあとりあえず、今度機会があったら梅ヶ瀬渓谷、行ってきますよ。
そして、昔日高さんが住んでいた、旧・日高邸跡地とか、日高さんが作った学校の跡地とか、一応見てきますよ。
そして記念碑の文章も読んで、写真も撮ってきます。
まあ、より深く、日高さんがどんな人物であったのか、探ってみようかとは思ってます。
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